全米テニス複優勝(1955年)、日本テニス協会顧問
平成29年1月6日、死去
1955年、当時シングルスと別々に行われた全米ダブルスで
宮城淳氏組んで優勝(現在の全米オープンテニスダブルス)
戦後の日本唯一の4大大会制覇を果たした。
東京・自由が丘の自宅の庭にあったテニスコートで父・国夫さんが
課す猛練習に明け暮れた。
1949年17歳で姉の幸子さんと組んで全日本テニス選手権で
初優勝し、翌年連覇を達成
1953年に兄の礼仁さんを破って全日本シングルスを制覇した。
昭和時代に活躍した選手は自宅にコートが有った人がいた。
名古屋でも八事近辺には個人所有のコートが有りました。
当店のお客様でコートを所有している人がいて、私も数回プレイを
させてもらった事が有りました。昭和50年代の話です。
今では個人でコートを所有する事が難しい時代に成りました。
爽やかなプレイと笑顔で、復興期の日本を勇気づけた人が逝った。